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長野地方裁判所 昭和32年(タ)1号 判決

原告 慎占文

被告 李順祚

主文

本件訴を却下する。

訴訟費用は原告の負担とする。

理由

原告の請求の趣旨並に原因は別紙訴状記載のとおりである。

そこで職権を以つてわが国の裁判所が本件について裁判権を有するかどうかについて判断する。

いつたい夫婦共に外国人である当事者間の離婚事件についてはいかなる場合にわが国の裁判権を有するかというに、被告がわが国に住所又は居所を現に有し乃至は最後の住所を有した場合には、原告がわが国に住所又は居所を有する(以下被告については「わが国に住所又は居所を現に有し乃至は最後の住所を有した」ことを、原告については「わが国に住所又は居所を有する」ことをいずれも単に「わが国に居住する」という)かどうかに拘らず、裁判権を有するが、被告がわが国に居住しない場合には裁判権を有しないと解するのが相当である。思うに夫婦共に外国人である当事者間の離婚事件についてもわが国の裁判所が裁判権を有する場合のあることは法例第十六条の規定の存するところからいつても容易に肯定し得るところであるが、そのいかなる場合に裁判権を有するかについては、わが法律に直接これを定めた規定はなく、また国際習慣としてみるべきものも存しないので、一に理論によつて決するほかないが、なおわが法律の規定で類推するに適するものがあればこれを類推するのが妥当であり、特に土地管轄に関する規定は一応類推が可能なものと認められる。まず民事訴訟法第一条は訴は被告の普通裁判籍所在地の裁判所に提起すべきものと定めているが、右のような規定はひとりわが民事訴訟法のみならず各国の法制の多く採用するところであつて、その法意は原告たるべき者は被告たるべき者の住居地に出向いて訴訟をすべきものとして被告にも十分の防禦方法を尽さしめるのが最も公平であるとの見地に立つものと考えられる。右の土地管轄の規定に関する法理は裁判権の有無についてもそのままあてはまるものではなく、一国の裁判所がいかなる事件について裁判権を有しまた有しないかということは、自国の権威の維持、自国民の権利の擁護あるいは国際間の礼儀等種々の国家的見地からも考慮されなければならないが、外国人間の離婚事件のように右のような国家的見地について多くを考慮する必要のないものについては前述の管轄の規定に関する法理はむしろより強い理由を以つて裁判権の有無ということについても妥当するものといわなければならない。もつとも民事訴訟法第一条の定める土地管轄に関する原則的規定に対しては民事訴訟法その他特別法に数多くの例外的規定が存し管轄裁判所が被告の普通裁判籍所在地の裁判所に限らない場合が多く、更に専属管轄の規定によつて被告の普通裁判籍所在地の裁判所の管轄が排除される場合すらあつて、右民事訴訟法第一条の規定はあくまでも原則的規定たるに止まるものであり、殊に人事訴訟手続法第一条は離婚事件は夫婦が夫の氏を称するときは夫、妻の氏を称するときは妻が普通裁判籍を有する地の地方裁判所の専属管轄とする旨定めているのであるが、夫婦が同一の氏を称することはいずれの国にも共通した事柄ではないから、右規定をそのまま類推することは不可能というほかなく、他に離婚事件に類推するに適した管轄に関する規定が存しない以上、民事訴訟法による原則的規定に立ちかえつてこれを類推するのが最も妥当であるといわなければならない。因みに海牙離婚条約第五条は、離婚の訴を提起すべき裁判所として、「一、夫婦の本国法に従つて管轄権を有する裁判所、二、夫婦が住所を有する地の管轄権を有する裁判所、夫婦がその本国法に従つて同一の住所を有しないときは管轄権を有する裁判所は被告の住所地の裁判所とする」と定めているのであつて、被告の居所及び最後の住所の所在する国の裁判所に裁判権を認めない点においてわが民事訴訟法の原則規定を類推した結果とは異るが、結局被告の生活の本拠地を以つて決する点においては右と共通であつて、右海牙離婚条約の規定も亦被告に防禦方法を尽さしめるという考慮を根本としているということができる。

そこでなお右のように夫婦共に外国人である当事者間の離婚事件についてそのいかなる場合にわが国の裁判所が裁判権を有するかについて、被告がわが国に居住する場合にのみ裁判権を有すると解する以外にいかなる見解が存するか、その主な見解について検討を加えるに、主な説としてはおおよそ次のようなものであろう。すなわち(一)夫がわが国に居住するときは裁判権があるとの説、(二)原告又は被告の一方(従つて夫又は妻の一方)がわが国に居住するときは裁判権があるとの説、(三)原則として被告がわが国に居住するときにのみ裁判権があるが、例外として被告が悪意を以つて原告を遺棄した場合等特別の場合には原告のみがわが国に居住する場合にも裁判権を有するとの説等が考えられる。(一)の見解は人事訴訟手続法第一条が改正される以前において離婚事件は夫が普通裁判籍を有する地の地方裁判所の専属管轄とする旨定めていた当時には右規定を類推の根拠となし得たのであるが、右規定は前記のように改正されたのであるし、もともと夫の居住地によつて決するということは男女両性が本質的に平等であることに鑑みて相当でない。なお法例第十六条本文は離婚はその原因たる事実の発生したときにおける夫の本国法による旨定めているが、右規定はわが国の裁判所が裁判権を有する場合にはじめて適用される準拠法に関する規定であつて、これを類推の根拠とすることは適切でない。(二)の見解は原告の便宜も亦考慮されなければならないとの立場に立つものと考えられるが、類推の根拠となるが法律の規定が存しないのみならず、原告の便宜の点は被告が十分の防禦方法を講ずる機会を奪つてまで考慮さるべきではないから、この見解も亦相当でない。(三)の見解は一見以上の諸点を考慮し他の説の短を捨てて長を採り最も実際的であると考えられるようであるが、被告の立場を保護するに十分でないことは(二)の見解によつた場合と甚だしい懸隔がないのみならず、最も法の安定性が要求されなければならない裁判権の有無の点が離婚原因の如何及びその存否によつてはじめて決定されるということは好ましいことでなく、また必然的にその点の審査が本案の審査と重複し、裁判権という本案の審理の前提要件の有無が審理の尽されるまで確定しない点において到底妥当なものと解するを得ない。

よつて夫婦共に外国人である当事者間の離婚事件については前叙のとおり被告がわが国に居住する場合にのみわが国の裁判所が裁判権を有すると解すべきである。

そこで本件についてみるに、原被告が共に韓国人であることは訴状添附の戸籍謄本によつて明かであり、被告がわが国に渡来したことなく、従つて現にわが国に住所をも居所をも有せず、また原告主張のように事実所在不明とするもわが国に最後の住所を有したこともないことは、訴状の記載自体に徴して寔に明瞭である。もつとも原告の主張によると被告が所在不明となつた当時の住居地は本籍地たる韓国慶尚南道であつて、原告の主張によるその当時右被告の住居地がわが国の領土に属していたことはいうまでもないが、被告の普通裁判籍による管轄の規定を類推して裁判権の有無を決する際に、被告の最後の住所地がわが国に属するかどうかを決定するには、訴提起の当時を標準としてその最後の住所地がわが国に属するかどうかによつて決するのが相当であるから、結局被告がわが国に最後の住所を有したと認める余地はないものといわなければならない。よつて本件訴についてはわが国の裁判所に裁判権が存しないものと認めなくてはならないから、本件訴は不適法であつてその欠缺を補正することができないものと認め、民事訴訟法第二百二条に則り口頭弁論を経ずにこれを却下し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条第九十五条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 今村三郎)

(別紙)訴状

(中略)

請求の趣旨

原告と被告を離婚する

訴訟費用は被告の負担とする

との御判決を求めます

請求の原因

一、原告は甲第一号証(戸籍謄本)の通り鮮暦檀紀四、二四一年(明治四十年)一月三日、その本籍地に生れ、地方の慣習で十二才(数へ年である、以下年齢はすべて数へ年で表はす)の時、被告と婚約、直ちに同棲生活に入つたが婚姻の届出は長男道晟が生れたのでその手続をした

二、原告は、二十才の時、出稼のため単身日本に渡り当時東筑摩郡岡田村に住んでいた叔父吉田光男(日本名)を頼つて一旦其処に落着き間もなく同郡本郷村字三才山に移つて炭焼稼業をした、その渡日には原告の生母(当時父は亡くなつていた)も被告である妻も生計樹立のため、これを快諾したこと勿論である当時長男道晟は懐姙中であつた

三、原告は孜々として炭焼に精励し郷里の被告に送金し老母や道晟やらの生計に当てさせていた当時被告は、その住居の近郷を魚類等の行商をしていたが不貞にも男を拵えて母や道晟を遺棄して家出逃亡、その所在を晦まして仕舞つたそれは道晟三、四才頃のことである

四、原告渡日後九年程して母が死亡したがその時には原告は経済上の都合で残念乍ら帰れなかつた道晟は老母(道晟には祖母)の没後、親戚の手に引取られていると云うので、それを日本え連れて来なくては、ならないから、粒々辛苦働いて帰鮮旅費を作り昭和十二年と思うが漸く帰鮮し老母の墓参をし道晟を同伴して日本え戻つた時に道晟は十一才であつたと記憶する

五、異郷に単身出稼して勤倹力行、そして生計費を送金しているのに他の男と手を取つて老母や愛児を置去りにして所在を晦ました不貞の被告の行動を憤怒した原告は訴外柳沢久子と昭和七年二月頃より内縁関係を結んだ

六、爾来原告は右柳沢久子と事実上の婚姻生活を続け、その間には汪水(甲第一号証参照)以下、柳沢源一(甲第二号証参照)に至る八人の子女を挙げている但汪水、もも子、嶋子、明の四人は何れも戸籍面は被告との間に生れたものとして記載されている併しその出生が皆、日本であることは甲第一号証でも明かで柳沢久子との間に生れたものであることは確かであるモウ一人、光子当十二才は本籍の面役場え出生届を出したのであるが、その記載は洩れている文子以下源一までは戸籍面は巷間謂う所の久子の私生子となつている

七、斯様に被告は不貞極はまるものであり悪意を以て原告を遺棄した者であり且又その生死が永年不明(動乱に因る遭難死等も多分にあり得る)でもあるから茲に離婚を求むるため本訴に及ぶ次第である

現実直面の問題としては訴外柳沢久子との二十数年続く内縁関係を正式婚姻とし八人の子女の戸籍を訂正して学校関係や就職その他について生ずる支障を芟除し更に原告本人も日本えの帰化と云う宿望を一日も早く実現しなくてはならない必要に迫られている次第である

証拠方法

一、甲第一、二号証(戸籍謄本)を以て請求原因記載事実を証し

二、その他人証を以て請求原因記載の全事実を

それぞれ立証する

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